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今にも動き出しそうな3Dイラストクリエイター 豊田 遼吾さんにインタビュー!

3Dイラストをメインに、アジア•ヨーロッパ•アメリカ•南米•中東地域など世界中の広告•映像•テレビCMのお仕事をしている3DイラストレーターのRyogo Toyoda(豊田 遼吾) さん。

9月18日(金)にYouTube Space Tokyoで開催されたアートイベントで登壇されていた際に、Pictbox事務局のマサがご挨拶させていただき、9月下旬に新宿にあるPIctboxオフィスでインタビューの機会をいただきました。

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豊田さんは、東京の品川駅前にある観光名所・EPSON AQUA PARK品川のリニューアルオープンにあたり、来場者に配布されるフロアガイドの3Dマップや、メインスタジアムのバナーを制作されました。

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Agency / Dentsu
Art Director / Kakeru Asagi
CG Design / Ryogo Toyoda
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今回のPictboxインタビューでは豊田さんのご経歴に加え、豊田さんのお仕事の仕方、またオリジナル作品の制作についてお聞きしました。たくさんのことをお聞きしたので、複数回に分けてご紹介します。

―― 今日はお越しいただきありがとうございます。

豊田 いえいえ、世界堂から近いので便利ですね。

―― はい。実はPictboxのセールスポイントにしようかと思うくらい好評なんです。

豊田 クリエイターは世界堂に定期的に来ますからね。

―― そうなんですよ。今後は世界堂に来たついでに、ぜひこちらにお越しください。電源使っていいので(笑)

豊田 本当ですか。じゃあ、お言葉に甘えて・・・

―― ぜひ!あ・・申し訳ありません。冒頭から雑談になりそうでした。本題であるインタビューを始めたいと思います。

豊田 雑談でもいいですよ。

―― すみません、実はPictboxで初めてのクリエイターさんインタビューなので緊張しています。ではインタビューを始めさせていただきます。(笑)

―― 絵をお仕事にしようと決めたのはいつですか?

豊田 祖母が画家をしていたので、幼少時は祖母に絵を教えてもらっていました。そして、幼稚園の頃には将来は漫画家になりたいと決心して、高校生まで漫画を書いていたんです。

―― 幼稚園の頃に決心されたんですね。早い・・・

豊田 はい。

豊田 でも、高校生の頃に大友克洋さんのAKIRAという作品を読んで挫折しました。AKIRAという作品のコンセプト、画力、シナリオに興奮し感動しました。でも、同時に大きなプレッシャーを感じてしまいました。こんなすごいものを自分には作れないと思ってしまったんです。

―― そうなんですね。でも今、絵のお仕事をされているということは、そこで絵をやめなかったんですよね。その後はどうしたんですか?

豊田 挫折したからという理由ではないんですが、高校卒業後は美大などではなく普通の大学に行きました。専攻は経済学でした。

―― 大学時は制作活動はしなかったんですか?

豊田 制作はしていました。やっぱり、絵を描くのが好きなので。友達の依頼でCDジャケットやロゴなどを制作していました。

―― どんなCDジャケットを制作したんですか?

豊田 大学に入り20歳になってからはクラブに行くようになり、エレクトロニカやプログレッシブハウスなどのクラブミュージックを聴くようになったんです。例えばGlobal Undergroundというレーベルが出しているCDとか・・ご存知ですか?

―― 本当ですか?ぼくもそのレーベルの音楽を聴いてました。ちなみにSasha and John DigweedやDJ TOMIIE SATOSHIの音楽です。

豊田 えー、本当ですか。僕もまさにその人たちを聴いていました。まさか音楽の話ができると思っていなかったのでうれしいです。でも、そのような音楽を聴くようになって、そして好きなDJのリリースするCDを購入したり、ライブに行くようになって、音楽がイラストやグラフィックと密接に関わっていることに気づいたんです。そして、自分でも作りたいと思うようになりました。

―― イラストやグラフィックはどうやって学んだのですか?

豊田 大学を卒業するまではずっと独学でした。でも、本格的に学びたいと思い、大学卒業後、専門学校に2年間通いました。

―― 大学卒業後は就職はされなかったんですか?

豊田 普通に就職しました。夕方まで会社で働き、夜に専門学校で学びました。

―― そうなんですね。やっぱりその時にも将来的にイラストレーターまたはグラフィックデザイナーなどになりたいと思っていたのですか?

豊田 はい。強く思っていました。そして、デザインの基礎をちゃんと勉強したいと思い桑沢デザイン研究所という学校に行きました。

―― 桑沢デザイン研究所ではどんなことを学んだのですか?

豊田 幅広く学びました。特にレイアウトや色彩構成、文字の使い方、またコンセプト作りなどを基礎から学べたのは、今でも役立っています。絵本作成や写真なども学びました。

―― 桑沢デザイン研究所を卒業した後はどうしたのですか?

豊田  一度就職していたので、社会人経験はありましたが、シフトブレインというデザイン会社に新卒として入社しました。アシスタントデザイナーとして、ポスターやウェブサイトさまざまなデザインの仕事に関わることができました。

―― その後フリーになられたのですか?

豊田 いえ。その後にウェブ系のスキルや経験をもっと積みたいと考え、ウェブ系のデザイン会社に転職しました。また、その後には電車広告やOOHなどマス広告のデザイン会社に転職しました。

―― そうなんですね。いろんな会社でさまざまなデザインを経験されたのですね。そしてフリーになったのですか?

豊田 はい。

―― フリーになるということが豊田さんの中で重要だったということでしょうか?

豊田 はい。さまざまな会社でいろいろな仕事をやらせていただきましたが、自分の考える「おもしろい絵」が一番描きたかったですし、それをとことん追求したいと考えていました。また、個人や数名のチームでも世界的に有名なスポーツブランドと仕事をしているというような事例が欧米であることを知って、自分でもそうしたいと考えるようになりました。

―― パート1終わり。

次回は豊田さんがフリーに転身された後、どのように作品をPRして、仕事を得ていったのか、またどのように作品を制作しているのかというところをご紹介します。

豊田さんの作品はPictboxでもご覧いただけます。

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